山﨑達枝 災害看護と私 Disaster Nursing

伊豆大島台風26号災害への派遣活動報告(2013)

東京都大島町へ日本DMORT研究会から初めての派遣

出発

2013年10月16日、台風26号による土石流で大きな被害を受けた伊豆大島(東京都大島町)。

土石流は西に向かって沢に沿うように河口部まで流れて集落を飲み込み、35人が死亡、6人が行方不明となっている(2013年11月5日17時現在)。

2013年10月18日、日本DMORT研究会より、看護師2名と医療調整員1名の計3名で大島町に向かうことになった。活動期間は同月19日~22日の4日間。

18日夕にとりあえず羽田空港から大島空港間の往復のチケットは購入することができたが、宿泊のホテルとレンタカーは全く予約ができなかった。マスコミ・自衛隊・消防・警視庁などの捜査も難航しホテルや車など全てが予約されていることはすぐに理解できた。

非常に危険な行動かもしれないが“行けば何とかなる、まず現地へ”と言う私の強い思いで現地に向かった。

現地での活動と今後の課題

大島空港で運よく宿泊とレンタカーを予約でき、私たちは活動を開始した。

まず現地の対策本部に挨拶に向かい、東京都大島町の川島理史町長に面会した。DMORTのこと丁寧に説明すると、活動に対する了承を得ることができた。さらに私たちの窓口となる方を紹介いただいた。

「多数の死者が出たのは町長の避難命令が遅かったのではなかったのか」等々責任を問うマスコミや島民から非難を受け、まさに川島町長や役場の管理者は時の人になっている。身も心も疲れているだろうに私達には親切に対応してくださり胸が痛む。

その後被災地や避難所を視察した。被災地は、まるで東日本大震災が思い出されるような状況であった(写真)。

photo 被災現場
photo 被災現場を前にして言葉でずに手を握り唇を噛んでいた

東日本大震災被災者の皆様は、この状況をニュースで見るたびに当時の事が思い出されるのではないかと思われた。

悲惨な状況を目の前にして大きく傷つき、死者・行方不明の数に心が痛む。

災害は突然にやってくる、そして死者が発生するのが災害。辛い。被災者・被災地域とひとくくりにせずに一人一人丁寧に関わっていきたいと深く思う。

大島高校など避難所が設置され被災地域住民が避難している。

避難所の対応や福祉避難所の設置の準備に町役場の職員は休む事もなく慌ただしく動いている。休む事も仕事と思うが狭い伊豆大島町、「われわれは休んでもいられない」と言った役場の職員としての心境である。

さらに亡くなられた方々や行方不明の方々とその家族の皆さんを知っている。

使命感として必死になって頑張っている姿を目の前に、私たち先遣隊派遣は家族(遺族)支援としての役割であるが、役場の職員の方々が後から疲弊することが理解でき、ケアの必要性を痛感した。

突然に見舞われた不幸な出来事、その家族(遺族)への支援は非常にデリケートである。活動期間中に遺族に会えているが、その際の対応内容について記述は控えることにする。

まずは現場に出る事ができたことは大きな一歩前進であった。そこで見えてきたDMORTとして今後の課題も多い。突然家族を失った遺族が、孤立しないように寄り添えるDMORTとしての役割を考えて行きたい。

謝意

ホテルの皆さん、とても暖かく親切にしてくださいました。

このような状況下でも私たちに情報提供して下さり、活動の場を与えて下さった川島町長はじめ町役場の皆様、派遣の許可をしてくださった吉永代表・村上事務局長はじめDMORT幹事・世話人の皆様にも感謝いたします。

photo 今日の報告書作成中、大島町役場の一角で
photo 美味しいお食事と車など大変お世話になった宿泊施設「フレンドハウス」

紹介記事

読売新聞の木村タツヤ記者の記事を以下に紹介する。

伊豆大島の土石流で亡くなった人の遺族の精神的ケアを行う専門家チームが20日、避難所などで本格的な活動を開始した。救出活動の陰で手薄になりがちな遺族への心のケアなどを重点的に行う。災害直後から遺族への組織的な支援が行われるのは国内で初めてという。

チームは、「日本DMORT(ディモート)研究会」(代表=吉永和正・兵庫医科大教授)の看護師ら3人。DMORTは米国で1990年代から始まり、発災後速やかに現地入りし、遺体の修復や遺族の心のケアを行っている。国内では、2005年のJR福知山線事故で、現場で死亡が確認された被災者の遺族対応が十分ではなかったことの反省から、06年に同研究会が発足した。これまで医師や看護師、臨床心理士など約400人が研修を受けたという。

現地で活動する同研究会幹事の山崎達枝看護師は、「突然家族を失った遺族が、孤立しないように寄り添っていければ」と話している。吉永代表は「救急医療は被災者の死亡が確認された段階で終わるが、家族の苦悩がそこから始まる。現場経験を積んで、よりよい対応法を検証していきたい」と話す。

(2013年11月掲載)
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