山﨑達枝 災害看護と私 Disaster Nursing

絆塾・被災地視察(宮城・2014)

2014年11月24日、被災地視察として宮城県石巻市、東松島市を訪ねました。

参加して下さった方からの感想文を紹介します。

参加者の声

語りの力を肌で感じた

勤務先で医療安全に関わる業務と災害対策の委員を担当しており、医療事故と災害の対応について共通点が多いと感じていました。

日頃現場で実物を見ることの重要性を部署の安全推進委員に伝えている立場として、今回の山崎絆塾の企画は自分自身が現場に触れる機会を頂き多くの学びを得ました。

人は「津波が来ている!」という情報をもらっても、これまでの経験から判断して想像を超える津波の現実を理解することが難しいということを感じました。

岩手では“てんでんこ”として津波時の避難方法を伝承されていましたが、同じ東北でも宮城では過去の教訓が伝承されていなかったことも教えて頂きました。

医療安全では、失敗から学ぶことや成功体験の共有が重要とされています。

多くの被害を生じた小学校を目の前にして山側ではなくなぜ橋の方向への避難を選択したのか?

結果を知っている今の私ではなく、当時の教員の目に見えたもの、集団の中での意思決定の過程などから二度と繰り返さないためにはどうしたらいいのかを考え、日頃の訓練のおかげで無事避難できた老人施設の実例を聞いて、平時の訓練の重要性を再認識しました。

また、復興の地域格差や工事に伴う新たな影響(トラックの走行による道路の傷みや交通事故の危険性)、仮設住宅での暮らしの長期化に伴う健康障害(心身ともに)など、実際の風景と当時の写真から説明頂いた語り部の中井さんのことばは、ひとつひとつ胸に迫るものがありました。

語りの力を肌で感じたと同時に“語る”ことの重要性も学びました。

美しい自然と温かい人々をはぐくむ東北の1日も早い復興を願う視察となりました。

これまでの絆塾で顔見知りになった方との再会や初めてご一緒する方との出会いに感謝し、菅野ファミリーの笑顔に未来への責任も感じる日となりました。

ドライバーや語り部の中井さんをはじめ皆さま、ありがとうございました。

特定医療法人社団御上会野洲病院 乾悦子

命ある時間を大切にしていきたい

災害から3年後の現状を実際に視察し・語り部・中井さんから当時の様子をお聞きすることが出来ました事は大変貴重な体験となりました。

また、山崎先生(山崎絆塾ですのであえて先生と呼ばせて頂きます)のこれまでの災害地での活動を通して絆を大切にして来られた事、災害を忘れない継続的な活動されてこられた事に感銘致しました。

自然災害の恐ろしさを改めて知る事で今後微力ではありますが、減災や災害看護に1人でも多くの方に関心を持って頂けるような活動を今後も行っていきたと思います。

特に大川小学校の様子は、災害の爪痕が痛々しく、今もなお行方不明の方々が沢山おられると言う現状にご家族の辛いお気持ちが伝わってくる災害現場・跡地でした。

5分の判断・選択で生死が決まり、ありえない状況の中でも奇跡的に助かる命もある、と言う人間の想像を超えた未知の世界が自然界で生きる人間の命の姿であるようにも感じました。

命とは時間。と言う法話をお聞きした事がありますが、命ある時間を大切にしていきたいと思いました。

この度の宮城県・被災地視察に参加出来ました事に感謝致します。

Hospitality Support 和心 黒澤和子

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現場に行って感じた訓練の大切さ

大川小学校が一番記憶に残りました。

すぐそこに山があるのにどうして逃げられなかったのか? 亡くなった子どもたちの両親たちが思うのもしょうがないと思いました。

石巻に行った後に、NHKで大川小学校の特集をやっていてその番組の中でも、どうして先生たちは決断が出来なかったのか? 先生たちの中に事なかれ主義があって、何かあっても困るから決断できなかったのではないかと言っていて悲しくなりました。

あのバスの中でガイドさんが言っていたように、訓練をしていたところでは被害が出ていないことを考えると、訓練を行っていれば行動につながったのではないかと思い残念でありません。

日和幼稚園の和解のニュースもその後に流れました。

あの場でその時の様子を聞き、そこからの教訓を伝えていくことが大事だと思います。

女川町立病院だったでしょうか? 高台に立っているのに津波の被害を病院の裏手から受けたと聞き、驚きました。

あの高さにまで到達するとは、現場に行ってわかった現実でした。どこまでの避難を考えるのか難しい判断です。

海辺に近くに立っていた病院は、亡くなった方々の石碑を見ると高齢者が多く実際どのように避難するのか、訓練を行いやっていなければその時に0からやるのには無理があると思いました。

今回の被災地視察を通して思ったことは、やはり訓練の大切さでした。そして今回の教訓を今後にどのように活かしてゆくのかがとても大事なことだということを再確認しました。

何をすればいいのかを自分に問いかける日になりました。

独立行政法人国立病院機構災害医療センタ 後藤由美子

自分の身は自分で守って初めて災害支援ができる

平成26年11月24日 東日本大震災で被災となった石巻市・女川町の視察に参加した。

当日は貸し切りバスに被災語り部の案内で、大川小学校・釣石神社、雄勝病院跡地・日和山公園から門脇地区の被災地を見学した。

車窓から被災地の重機や往来するダンプカーを見ると、福島県の原子力災害被災地より復興が進んでいるように感じた。不定期で福島県被災者支援している私は、災害の種類でこんなにも復興の差があることを再認識した。

案内は震災前後の写真を対比しながら、視覚で分かりやすく案内をして頂いた。そこで思ったことは、当然の事であるが「自分の身は自分で守って初めて災害支援ができる」こという事だった。

現在、自分自身の災害に備え振り返ると、地震の備えとして家具の固定、食料・水の備蓄、簡易トイレ、ディスポ手袋等を準備し、娘は季節ごとに洋服も入れ替えている。以前ベッドのそばにスニーカーを置いていたら、主人がこんなところにスニーカーが置いてあると言って片付けてしまったことがあった。そのため、現在我が家は部屋の中はスリッパではなくガラス破片を踏んでも大丈夫なサンダルを使用している。

自宅は海から3mの距離、標高10mの平地にある。大きな地震の時は、広域避難場所が海側の小学校になっているために、我が家では反対側の中学校に避難しようと決めている。

地震で家が倒壊し下敷きになったら場合の事を考え、近所の方と家族が就寝する部屋の位置をお互いに教えて、倒壊した時はピンポイントで救出して欲しいと話をしている。自宅の屋根にソーラーパネルが乗っているので近所では最初に倒壊するだろうと思っている。

地形的に浸水の可能性はないと思うが、竜巻・暴風災害の備えは何もしていない。

職場には、自分のロッカーに水2L・菓子類・スニーカーと主人の常備薬を置いている。

主人自身も常備薬は職場においている。

私は東日本大震災当日職場より6時間30分かけて帰宅した、肉体的に大変だった経験をした。そこで職場にいる時に災害にあったら、家族それぞれが職場に留まるように話し合っている。

自宅で被災した場合は、主人は小学生の孫を迎えに行けるように、災害時車での移動は無理と考えて原付バイクから2人乗りバイクに変更した。

災害伝言ダイヤルの訓練等まだまだ災害時の備えをしなければならないことがたくさんあると思う。気付いた時に実行しようと思っている。

災害時に「自分の命は自分で守る」ことが最低条件であることを肝に銘じておきたい。

神奈川県看護協会 深谷真智子

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何もできなかったではなく、まだまだ支援は終わらない、続けなくてはならない

東日本大震災の時、私は3人の子供と4人で暮らしていました。

麻痺する交通機関やどこまでも続くガソリンスタンドの行列、食料品が消えていく異様なスーパーやコンビニの様子、そして繰り返される計画停電の日々に、子供たちを残して、支援ナースとして被災地へ赴く派遣の依頼を受けることができませんでした。

被災地の様子を目にする度、何の力にもなれなかったと悔やまれてなりませんでした。

今回、視察の機会をいただき、写真や映像で見ていた現地を実際の目で拝見し、被災された方々の生の声を聴くことができました。復興されている状況に安堵する部分と、まだまだ生々しく残る被災地の状況に胸が詰まる思いでした。

特に同じ小学生の子どもを持つ親としては、そのままの形で残されている大川小学校は言葉にならない思いでした。ただ茫然と刻まれた一人一人の名前を読みました。

自分だったら、どのようにしてこの悲しみを乗り越えようとしただろうか。それはきっと経験したことのない深い喪失感なのだろうという思いで、被災地の方への思いが募りました。

同行頂いたガイドの方は実際に被災された方でした。臨場感あふれるガイドで、どのように津波が街を襲い街を変貌させたのか詳しく説明して頂きました。

ご自身も、計り知れない苦難を乗り越え、新たな生活を踏み出し今に至るのだろうと思いながら、一つ一つのお話を聴きました。この方々をできる限りの手段で支援していきたいと強く思いました。

何もできなかったではなく、まだまだ支援は終わらない、続けなくてはならないという思いになりました。

介護老人保健施 レストア横浜 吉川恵

震災直後の悲惨なニュースの映像が走馬灯のように浮かんだ

2012年の11月に、塾長の山﨑さんがされている東北震災支援活動に同行させていただいたので、石巻と女川を訪れるのは、今回で2回目になります。

前回は震災後1年半経っていましたが、街が存在していたことが信じられないような大草原(陸前高田等)を目の当たりにして言葉が出ませんでした。

震災後、何も資格のない私でも何か役に立つことがないだろうかと思っていたときに、山﨑さんが誘ってくださったのです。現地に行って自分の目で被災地を見ることも支援につながると。

あれから2年。被災地視察の機会をいただきました。

今回は、実際に被災された方の案内で、視察場所での当時の様子を伺い、震災直後の悲惨なニュースの映像が走馬灯のように浮かんできました。

少しずつ復興の兆しが見えてきましたが、まだまだ道のりは遠いと痛感しました。

私にできることは、被災地に行く、そして現地でお金を使うことくらいですが、“震災を忘れない”を認知症予防の目安として、元気に老後を過ごせるように心がけます。

機会がありましたら、また参加させていただきます。

学研メディカル秀潤社 田口由利

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心のどこかで気になり、何かできないものかと思っていた

被災地に初めて訪れ、時を経て今思うこと、それは事実を少しでも体感し、被災された方の思いに触れ、そこからよりよい方法を共に考えていくことの大切さである。

今まで、災害医療に携わりたいという気持ちはあったが、日々の生活に流されていた。東日本震災時も、自身の田舎でありながら、支援に踏み切れず、何もできない自分がいた。

非常事態が起きていると思いながら日々の役割に流され、けれど心のどこかで気になり、何か自分ができないものかと思っていた。

今回視察として、初めて被災後の土地に向かい、大川小学校を目の当たりにした。

詳しい話は知らずとも、その場を見て、その空気を感じて、呆然と何も考えられずにいたことを、今でも思い出す。

語り部の方からその場で起きた事実を聞き、その酷さに驚かされた。

この他にも、雄勝、女川や石巻市立病院跡地を実際に見て、数年たった今もなお被災された痕が、変わらずに残っていることを知った。

そしてそれぞれの場所で、何が起こり、何を感じ、今に至っているのかを少しずつ体感することができたように思う。

それは語り部の方が、実体験や同じ状況の被災者の方々の思いを汲んだ、生の声をもって伝えて頂いたからこそであると思う。

被災して、どのように気持ちが変化し、どのように生きて、どんなことが求められていたのか、そのことを私たちが看護師として受け取り、共に考えて前に進んでいくことが必要であると感じた。

視察から帰ってのち、石巻に支援に入っていた医師から当時の話を聞いたり、大川小学校とそこに子供を通学させていた家族の方々の今を題材にした番組を見たり、また被災者の方々にまつわる書籍を読んできた。

そのうえで、また被災地を訪れて体感し、被災者の方の思いを汲んで、何らかの形で少しずつでもお手伝いしていきたいと今思っている。

非常に貴重な体験であった。

日野市立病院 佐竹恵

その地に佇み、思いを馳せる

何回目かの石巻地区の現地訪問であるが、その度に、被害の大きさと、どのようにすればその被害を防ぐことができたのか、そのことを考えさせられる。

3施設・箇所について、コメントしたい。

大川小学校については、なぜ、この場所に学校を建ててしまったのか、との思いがどうしても否めない。

さらに言えば、なぜ、教員も子供たちも、ここに留まってしまったのだろうか。

そのような問を発すること自体が虚しいことと知りつつも、やはりそのことを考えてしまう。

雄勝病院跡地に佇み、この場所でお亡くなりになった方々に思いを馳せることは、災害看護に携わる者にとって、一度はやってもらいたいことと思う。

またその際には、辰濃哲郎氏による『海の見える病院』という力作を、事前に読んでおくことを強く勧めたい。

お亡くなりになった方がいる場所ゆえ、震災遺構として残すことへの反対意見が多かったことは容易に想像できる。

だが、それにしても、この施設を残してくれたならば、との思いはある。

ともあれ、今後の「山崎絆塾」の活動で石巻地区再訪の機会があるならば、雄勝病院には必ず行ってもらいたいと思う。

石巻市の港湾部を見下ろす日和山に立つことも、被災地への思いを新たにする良いプログラムと思う。

さだまさし氏による『風に立つライオン』の冒頭にも、日和山から海を見下ろすシーンが出てくる。

すでに取り壊されてしまった石巻市立病院であるが、在りし日の写真もこの場所に掲示されている。

被災の前と跡を比べる良い場所だと思う。多くの関係者がこの地に佇み、何かを考えてくれることを願っている。

今回の石巻地区被災地視察にあたっては、語り部さんのご支援もいただいた。

すべての場所で、このような語り部さんがおられるとは限らないが、おかげで思いを新たにすることが出来た。

次回以降の研修でも、ぜひ、語り部役の方の説明を受けつつの被災地視察をお願いしたい。

常葉大学社会環境学部 小村隆史

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